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高校生が不登校ので引きこもりニートになるため

こんにちは。

お久しぶりです。

とらとです。

このブログを書くのは億劫だったのですが、他にも書きたいことあり、このブログを書かずに他のブログを書くのは逃げでしかないと思い、書き始めた次第です。
⚠このブログにエモさはありません。⚠
前回までに書いたブログは読み返したくないので読んでません。整合性が取れてないことはないとは思いますが、同じこと書いてる場合があります。ご了承ください。

 

さて、前回までは僕の高校に入るまでのお話しを書いたと思います。高校に入ってからの僕は、中学校の頃の経験から 、代表委員にはいるのですが、僕の高校は大学のようで、制服はなく、クラス替えもなく、時間割は個人個人で違い、校歌もない。校則のようなものがあるだけで、校則はない学校でした。そして先生はほとんど干渉してこず、学校の方針としては自主自律。こんな学校で代表委員のしごとなど、雑用しかなく、物足りなかった僕は、生徒会に入ります。
部活動は中学で目一杯楽しんだ上、家庭環境が悪かったため運動系の部活には入らず、緩めの化学工学部に入り、焼肉屋さんのキッチンでバイトを始めました。

ここから夏までは、ごく一般的な高校生活をしていたのですが、夏に入る辺りで2つの大きな物が出てきます。
一つはGoogleJapan主催の高校生による研究発表science jam
二つ目はかながわハイスクール議会

science jamはGoogleの慈善事業の一環で、高校生の視点で世界を変えられるような研究を後押しする。といったようなことを目標に行った研究イベントで、僕は発表が科学未来館で行われることや、キックオフキャンプが高エネルギー加速器研究機構で行われること、あわよくばGoogle本社にいけることなどに目がくらみ、それに学校の先輩と応募しました。ですが応募してきた中にはガチの高専の方々や、SSHに認定されてる方々ばかりであえなく敗退。ですが、ここで得たものはとても大きく、今後の僕の価値観を明確なものにしてくれます。
キックオフキャンプにはたくさんの大人が関わっていました。googlerの方々はもちろんのこと、未来館のscience communicator、JAXAのエンジニアの方、東北大学の教授、などなど。この方々に会うまでは、親の影響なのかもしれませんが、僕の世界はとても狭く、社会人というものは、日々の生活の中で生気を吸われ、ゾンビのように生きる物だと思っていました。ですが彼らは違いました。未来に目を輝かせ、新しいテクノロジーにウキウキし、大人なのに子供よりも楽しんでいたのです。彼らとの出会いで僕の価値観は変わりました。
とても感謝してます。

その価値観を胸にいだき、挑んだのが、かながわハイスクール議会でした。
かながわハイスクール議会とは、神奈川の高校生が神奈川良くするためにはどうすればいいか考えようぜ!といったような議会で、政治、教育、観光などの社会問題にまつわる8つの委員会があり、その委員会で出たまとめた提言書を黒岩県知事に提言するのですが、僕は父が外国人で日本の教育に疑問が沢山あったため、教育委員会に入り、委員長になり、知事に高校生版の教育委員会なるものを作って欲しいと提言したところ、すんなりOKをもらい、高校生版教育委員会が設置されることが決まりました。

このあたりで勉強する意味などがわからなくなり、塾をサボりはじめ、やめます。

こういった感じで一年生の夏から秋が終わります。

冬はすることがなくなり、だれでも東大に受かるといった趣旨の本に感化され受験勉強を始めるのですが、塾にサボって行かなくなった塾にもう一回行かせてもらえるはずもなく、独学でやり、バイトも辞めました。

ですが、独学だと僕の理解力、ワーキングメモリーの低さなどが原因で、あえなく挫折し、学校には行くものの、家では水曜どうでしょうを制覇するなどといったトテモ有意義な冬を終えます。

冬が終わる頃に忘れかけていた高校生版教育委員会から連絡があり、創設者として1期のメンバーになったほしいと言われて茶番のような第一回を終えます。

そのあたりで水曜どうでしょうもなくなっていた僕は、虫けらのように毎日を過ごします。

そして3月の最後にお父さんにこのままこういう生活をしてたら、生きてても死んでても同じじゃない?と言われます。
それは僕の一番なりたくなかった人種。是が非でも回避しようと活動し始めます。

最初は江ノ島に友達と行く。などとかわいいものでしたが、だんだんエスカレートし、
厚切りジェイソンと教育と起業と日本の未来について焼肉を食べながら話したり、

毎週のように渋谷のスタートアップ界隈に出向くようになりました。そしてそこの会社でGWのインターンをし始めます。そこまでは良かったのですが、(よかったのか?)

その会社はベンチャーキャピタルの会社で、スタートアップに興味ある人たちを集めるようなイベントをたくさんしていて、僕はその会場スタッフをしていました。

そんななか、教育とITで日本の未来を変える仲間を募集!といったピッチをする人が現れました。僕は前述の通り教育に興味があったのでビビッときてその人について行くことを決めます。本当はここでもっとちゃんとしたスタートアップを選んでいたらもう少し安泰だったのかもしれませんが、僕はその人についていくことに決めました。

そしてその人の助言の通り、学校にも行かなくなり、その会社は利益を出していないにもかかわらすシード期を飛ばす為に投資を受けていなかったので、後で返す約束で僕は貯金の50万円をこの会社に貸し、生活費などをその50万円から出して生きていました。

ですがその会社でさせてもらったことといえばビラ配りや、ビラを設置させてもらえる会社を探したいりすること。プログラミング勉強を教えてもらえると言ってたのですが、蓋を開けて見ればggrksとしか言われない。そもそもその会社は、代表取締役以外の人を学生(無給)でつかっていたのでひどい会社だったとおもいます。
ビラ配りの他にさせてもらったことといえば、家庭教師業だったので僕の友達をネズミ講のように紹介すること。これが原因で僕のこの会社への信仰心は薄れ始めます。

もともと本社が関西にあったにもかかわらず僕は最初にビビっと来た人と共に東京に住んでいたのですが、僕の貯金がついに底をつきます。
そこで僕は、もうだめだとわかり、ビビッと来た人にもう限界なので、やめると時に返すと言ってたお金を返してくださいといったのですが、その人はそんな約束をした覚えはない。録音でもとってるのか?と逆ギレ。代表に聞いてみてもそんなことは初耳だとのこと。後々気づいたのですが、会社へ貸したはずのお金は貸したことにはなっておらず、僕はただただ50万円をドブに捨てただけ。その人が個人的につかったお金(恋人とのペアリング、恋人に会いに行くための交通費、クレジットカードの未払いなど)は返してもらえることになって、1月から五千円ずつ返してもらえるはずだったのですが、入金は当たり前の如くなかった。

そして家庭から自立しようとしたのが逆に親にまた迷惑をかけることに。

今の僕はただの不登校ニートです。

 

ですが、この二年生の経験は全然悔いてません。お金がなくなったことは最初のころこそ絶望していましたが、今では帰って来てほしいなぐらいになるくらいまでマインドセット出来ました。それに会社の人たちは基本的にいい人たちで、そのせいで早めにやめることが出来ませんでした。それに関西から関東に帰る時にヒッチハイクをして警察に捕まったことなどもこの道を選ばなかったら経験できていなかったと思います。(面白いので今度話そっかな)

失敗だったことといえばもっと自分の石橋を叩いておけばよかったということだと思います。

ただ、自分の行動力はこれを期に自信が着いたので良かったです。

その他にも、基本していたことはどうやったら自分の成長につながるかを考えて行っていたので無駄なことはなかったと思います。

そして基本、こわいものはなくなりました。これも大きな強みだと思います。

次回があるとしたらニートになってからの僕です。お楽しみに。

 

推敲をしてないため。乱雑な文です。自由帳を覗き見たとおもって許してください。