9連休最後の夜、驚くほどねれない

 

ニートの頃を思い出そうと思って休んでる間何もせず家にいたんだけど、環境も年齢もすべて変わってしまっていて、完全に思い出すことなんてできないと思ってたけど、振り返ると二回くらい思いっきり重い鬱来てたし、ちゃんと最後に昼夜逆転してるし、あの頃のままといえばまま

 

上司の結婚パーティーも行ったしそのあとの何次会とかにも行って、友達の月命日に集まって飲んだし、小学生とバスケして戯れたし、前職の恩人と久しぶりにご飯行ったし行動だけで行ったら随分動いてるけど何も変わってる気がしない

ねれない夜に自律神経の唸りを感じながらボロボロとツイートするのも何も変わらない

 

1日でもきついのによく何年間もこの状態で生きてきてたなと思う、

 

あの頃の自分にこえを掛けられるとしたらなんて言うだろう

むしろなんて声を掛けられるかのほうが気になる

君は僕になんて声を掛けるんだい?

温々生きてんじゃねえよ
たまには俺を思い出せよ
いつからそんな丸くなっちまったんだよ
つまんねえなぁ

 

散々悪態ついて疲れて寝たあの頃の自分を横目にみながらうとうとしてる

 

久しぶりに起きてたくさん暴れれてよかったね
忘れないからね

最後の記憶

 

 

 

 

 

 

「大丈夫。大丈夫だよ。」

「大丈夫だから」

 

 

 

 

 

広めのバスタブ、浅く貯めたお湯に浸かりながら僕らは抱き合い、
「この先どうなるんだろう」
と絞り出すような声を発し、虚空を見つめる彼女に抱きつき、

震える声でなんとかその言葉を口にしていた。

 

19年、丸19年生きて来て、一番記憶に留めている記憶だ

それはまるで雪と空気、その時の時間すらも閉じ込めたような
スノードームにも似た何かだった。

19歳、2019年を終えるに当たって、毎年恒例にしようと思っていた年の振り返りをはじめた。
始めたはいいものの筆は進まず、ペタペタと意味のない羅列を打つばかりの日が続いた。
人に執筆について聞かれたことがある。
どう書いてるの?と言った質問だった。
僕は、「貯まるまで頭でごにゃごにゃして、漏れ出す寸前で文字にしてる感じですかね」と答えると、
天才だね。と言われた。
「そうなんですかね?変わってるだけですよ。」
「天才だなんて烏滸がましい。」と伝えた。
心からの言葉だし、天才だなんて思ったことはない。

話を戻そう。

年の振り返りを書くに当たって毎回あの情景しか書き出せなかった。

東京駅で待ち合わせ、中野で下車、公園で少し桜をみて、漫画喫茶に向かった。

その時に話した内容は殆ど覚えている。
メガネが好きと言っていたからかけて来たよ
かけてきてくれてないじゃん。
instagramで仲良くなったおじいさんにね、骨董品が好きな方がいて、たまにその人とお話するの。
newbalanceの靴っていいよね。私いいヤツ持ってるの。
あの展覧会面白そうだね。少し歩くけど行ってみよう。
少し桜を見に行ってみよっか。
人が多くて大変だね。
ちょっとこっちみてみたい。
うん、いいね。
どうしたの?
お気に入りの赤い靴に傷がついちゃった。
とらとが道を外れたところに行きたいって言ったばかりにごめんね。
ううん。いいの。
少し疲れて来ちゃったね。
どこか休めるところに行こっか。ちょうどamoさんと映画見たいと思ってたんだ。
うん、そうしよう。

彼女は変わった人だった。

ところや国に変わらず、人間に生まれれば誰もが好きであろう桜が嫌いだと言う人間だ。
好きでないまでではなく嫌いだと言う。
その考え方に影響されて自分まで桜が嫌いになってしまった。
それまでに彼女の僕に及ぼした影響はでかい。

その後少し迷いながらも漫画喫茶に着いた。
タバコの灰皿を隠す必要があるため、年齢確認をするための身分証を提示する時、彼女は驚いた顔をしていた。

「とらとさんってまだ19歳なんだね」

僕としては初めに伝えていたつもりだったのでこっちが驚いて確認すると、そんな気をさせないから改めてびっくりした。とのことだった。
彼女に対する接し方は他の人間に接する時とは全く違い、好きな人に対する接し方だったので伝わっていたのが嬉しくてついニヤついてしまった。

中に入ると映画はみれず、僕がちょっかいを出し始めた。
すぐに二人は耐えられなくなり、しっかりとした場所に移動しようとなった。
20分程度しか滞在していないのに、そこそこの値段を取られたが、それは彼女が出してくれた。

浮足立つあしを抑えつつ地図でホテルを探す。割と近くにあるようなのでふらふらと歩く。
外国人が撮る日本の町中のレンズが指す方向を見るのが好きなんだよね。
ここからは会話の記憶が途絶え始める。

部屋に着くと彼女は徐ろに服を脱ぎ、備え付けの服を羽織った。
もう眠くて耐えられないから寝るね?
じゃあとらとも横になって一緒にねるね
今までに感じたことのないほどに気持ちの良いキスだった。
耐えきれなくなった精液はズボンまで染み、すぐに彼女にバレた。
とらとさんここまで濡れてるよ?
初めての経験だったのでうまく把握できなかったが、それだけ好きだったんだなと再確認した。

そこで冒頭に戻る。
彼女の初めてを貰ったあと、彼女はあの言葉を発した。
30年以上大切に守ってきたものを僕にくれた。
それはそれなりのことだったのかもしれない。

そこで僕が付き合って下さいと言えなかったのが一番の問題だった。

一番の問題だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18という君

2018、君はどんな年だっただろう。

 
なんだかんだ僕は君のことが好きだったよ。
 
色々と経験させてくれた。
 
前任は自分と対話しろと言い、あまりかまってくれなかったんだ。
ただ僕はそれはそれで今となればいい地獄だった。
 
そうだな、一年前の僕といえば暗闇を好み、習慣を嫌った僕の踏んで壊した2つの眼鏡の代わりに
家で拾った眼鏡をかけていた頃だ。
今は少し色の入った眼鏡をかけている。気に入ってるんだ。
 
君のしてくれたことを少し振り返ろうと思う。
 
まず、君は僕をあの淀んだ部屋から連れ出してくれたね。
半年前であれば頑なに拒んだはずの労働。なぜか僕はすんなりと受け入れたんだ。
今でもあのコンクリートでできた無機質な壁と時間どおり動く人の群れに感じた囚人の様な感覚と空の青さを覚えてる。
そう、冬だったんだ。
そこからは時間のあまり具合に合わせて色々な女性と関係を持った。
言うならばその前から持っていたが、本当に愛していたのは彼女だけであっただろう。
君も覚えてるかな?
チャットアプリに何の初期設定もしていない彼女が足跡をつけてくれて、僕は話しかけたんだ。
遊びにつかれてただただ話したかった。
話していくうちに旦那が浮気をしていること、精神を崩していること、同じ音楽が好きなこと、お互いが愛しあっていることに気付いたんだ。
それからは君も見ていた通り、毎日のように長文でお話をした。今思えばそれが愛だったんだろうな。
そこからは彼女が二回、僕が一回足を運んで、その度に笑いあい、体を交えた。
大好きだったんだ。
今思い返してみると、最後にあったときの彼女は憔悴しきってたよな。
店員が話しかけても耳に入っていないことだってあった。
それを無視するかのようにいつも通り接してしまったんだ。
そして連絡が来なくなった一人になった。
 
ただ、18。君はいたな。大好きだった彼女の他にも連絡をとってるひとがいた。
三人ほどいて、いまでもお話をしている。
今でも毎晩のように電話をする人もいれば、なにかあったときに報告する人。
なぜかまた話すようになった人。
現実にいない分そういう出会いは大事にしたいんだ。わかるだろう?
 
仕事で言えばその監獄から抜け出し、(監獄で演じる自分は好きだった)新しいものを探しに行ったんだ。
ただまだ完治してなかったのか随分パニック障害になやまされ、人に迷惑をかけた。
そして自分に合う仕事なんて日本にそんなにないこともわかった。
脳科学をもう一回やろうとも思った。だが諦めてしまったんだ。19、君とはそれをしてもいいかもな。
そこからはあまり記憶がない。
ずっとこの渋谷の日も人の会話も届かない椅子のあるウォークインクローゼットにいたんだ。
おかげで学費を稼げて精神はあんていしてきた。
その引き換えかもしれないが一年間ほぼ休み無しで働いてきた母親が体調を崩して死にそうだ。
あと三年は持つかと思ったがもう長くないかもしれない。
いつ逝ってもいいように心づもりをしないとね。
僕らは止まれないんだ君は19になるし僕も20になる。時は止まってくれないんだ。
止まったら死ぬんだ。そう胸に刻んで生きてきただろう?覚悟をもて。
 
人との関係でいうと、新たにツイッターで、インスタグラムで大切な人ができたんだ。
 
僕らはお互いを心配しあい、お互いの幸せを願っている。
こんなに幸福なことはないよ。18、君は僕の幸せを願ってくれてたのかな。
 
31日。君とのお別れの日が来ても僕には未だにわからない。
ただ一つ言えることと言えば今、僕は心のそこから幸せだと言える。
それは君のくれたものだ。ありがとう。
 
君の最後の最後でくれたもの中で芸術や文学といったものがある。
 
 19とはそこらへんを旅しようと思っている。
そうだ、今度19と秋田の温泉に、大切な人の故郷に、大切な人に会いに行くんだ。
残念ながらこのプレゼントをくれた君とは行けない。
でも僕はしっかりと土産を持ってくるよ、君が好きそうなものをね。
 
もう会えない君にしっかりと渡すよ。そしてもう会えない君にはここに来て君と語らうんだ。
 
毎年、あるいは毎月、十数年に一回。もしくは他に会う奴らのついでかもしれない。
けど必ず会いに来ると思うんだ。僕は君のことが好きだからね。
 

帰ってきたなんちゃらマンの何万煎じ

お久しぶりです。とらとです。

 

 

まずは皆さんに「おめでとう」と言いたい。お待たせでは断じてない。

進路が決まった盟友たちには諸手を挙げて祝福したい。

 

それは待っていてくれた読者、友達、親族、愛する人への「待っていてくれてありがとう」や「待たせてごめん」などと言った感謝の言葉ではない。

 

待たせてしまったことなど重々承知であるし、待っていた人がいないことなど「おめでとう」と言いたかったことを書き連ねたときから疾に知っているのである。

遅いと思った君の寝ながら読んでいる耳ではなくアイフォンに水をかけあげたいのだが、このように勘違いしてしまったのには一年ぶりにログインしたはてなブログ氏から今月のPVが100人を超えたという通知を見たからだ。

100人ですよ?8クラスあった私の学校の人学年の実に1/3くらいだよ?!これは誇らしい?!いや冷静に考えると誇らしくない。だがそうPV数は脅威の1743!これはどうなのだろう!まったく比喩できない!どうにもこうにも高2のときに始めた独り言2000人近くも目に入れてるということは入れてもさほど痛くはないであろうから引き続き啓蒙活動と称した点眼作業を続けていくとしよう。

さて、とは言ってもこの点眼ブログを今か今かと忌々しき花粉症ようの目薬のように待っていた重度の患者はいるわけで、その方々には待っていてくれてありがとう。待たせてごめんね。素直に処方箋を出したい。それが義務であるし、なんならとらと先生と呼んでくれてもいい。だが薬は薬剤師さんに処方してもらいたいので薬剤師さんのもとに行き、恥をかいて頂きたい。

言い訳をしたくないがために長々と引っ張ってきたニンニクチョモランマヤサイマシマシラーメンたのようなくどいジョークはやめて言い訳をしよう。

パソコンが壊れていたのだ。それ以上でもそれ以外でもそれ以内でもそれ以下でもそれ未満でもそれを含まなくもそれを含んでもそれを逆にしても裏にしても待遇にしてもない。それに今の表現はネタ切れだ。僕の素養のなさを恨んでくれ。

そうだパソコンが壊れていたのだ。一般的な窓(windows)の入ったパソコンはさほど修理にお金がかからないのだが僕が持っているこの悪魔からおすすめされたりんごはとにかく高い。どれくらい高いかというとこのりんごのは八百屋で買うりんごの850個相当の価値がある。りんご850個も20個も一般消費者にしたら価値は変わらないが小売値段で計算したので問屋でならもっと買える。そして十幾年ぶりにりんごの値段の計算をした。少年期のとらとよ、なんのためにりんごの値段を阿呆のように計算しているかわからずもがいているだろうが役にたったぞ。

とはいえそれだけの高いものいくら知識や物が手に入るからといって神が手に取らないようにアダムとイブに言っていた理由がよくわかった。そして人間は知識なんてつけず、羞恥心もないような方が良かったのかもしれないアダムとイブには一年間放置していた僕を大いに見習ってほしい。ちなみにかのスティーブ・ジョブズも子にはりんごの烙印の入ったものを買い与えないらしい。

とはいえようやく一昨日一念発起し、appleに電話をし、担当者さんと恋人のような長電話をした挙句、直通の番号まで手に入れて晴れて恋に落ちたわけだが、その話はまた僕が色恋小説を書くまでおいておくとし、やっと直ったわけなので今こうしておめでとうと言いたいのである
ちなみにウインドウズであればもっと早く社会への窓が開いていたであろうが、それはそれで問題なので悪魔の実でよかったと思う。

 

ここまで散々ぱら御託を枚挙してきたわけだが、 僕がしたいのは「祝福だ」。この一年何してたかは次のブログを待っていてほしい。

 

「おめでとう」と言いたいのだ。

 

 

 

 

明けましたことに対して。

今本当にいっていないかラインの検索昨日を使って「あけましておめでとう」と検索したのだが1件もヒットしない。聡明な読者諸君なら「おめでとう」と検索をしろよと横槍で美味しく揚がった足を2本とも串刺しに来たであろうがそれでも明けたことに対するめでたさが1件もないのだ。

なので僕はこのブログをもって恭賀新年とする!!!!

 

おめでとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

良いお年を!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

ストラテラ25mgを飲んで8日までの感想などなど

今回は僕と同じ人たちに向けて書こうと思います。

 

実を言うと僕はこの薬を飲むのが最初はとても怖かったです。

何故かと言うとそれが自分のいいところを消してしまうかもしれないかと思ったからです。

僕は処方されてから3日飲めませんでした。ですが、目的論者な僕は、飲まないってことは変わりたくないってことだな?などと自分を煽って飲んでみることに。そしたら

 

世界が変わりました。

 

比喩などではなく本当に。

飲んでから気がついたのですが、僕の場合、思考の多動性のようなものが強く、自生内言が酷かったみたいで、飲んだ途端ピタッと止まって静寂が訪れました。

常に思考の嵐、渦が巻いていてコントロール出来ずに災害を頭の中に飼っていたような感覚です。

「あ、いまおれなんも考えてない」って思えたのが一番ビックリしました。

 

そのおかげか、前までかってに頭がマイナスな方向に考え出し、止まらずに死にたいと思うまで突っ走ることもなくなり、鬱が治りました。

他にも、ねれない時によく言われていた、目をつぶっていれば寝れるというのも経験しました。まえまではひたすら頭が回転して寝れたかったからです。

頭のなかが静かになったので基本的なこと(片付ける、などなど)に頭を使えるようになり、そういったミスがなくなった(気がする)

 

そこら辺がいいことで、

悪いところ(一概に悪いとはいえない)といえば、

飲んで数日は脳の回転が止まったかのような感覚で、なにも考えず、ただただ平穏な日々を過ごしたりしました。

最初の方は本当に頭の中の声がなくなったので考えることは愚か、文を読むことも出来ず、文を書くなんてもってのほかで、ひたすらバカになったような感じがしてました。(ツイートすらできない)

過集中も最初の方は全く起こりませんでした。

 

副作用としては

少しの吐き気(ほんとに少しだから心配しないで)、満腹になると幸せだったのが気持ち悪くなる、食欲不振、三大欲求の減衰、味盲、などなど。

いままでは脳内での会話がカロリーをつかっててその分食欲がなくなったのかなと思います。(前までニートでもお腹がものすごく空き、目一杯食べても太らなかった)

 

副作用は治るかはわからないですが、いいところと悪いところは八日目になってやっと振り切ってたところがお互いのバランスを取り始めた気がします。(なのでこの数時間でちょっと過集中気味になりながら三本記事をかいた)

 

なのでADHDの人は飲んで見ることをおすすめします。

 

推敲をしてないため。乱雑な文です。自由帳を覗き見たと思って許してください。

ニートが脳の異常者だと気づくまで

前回までで、僕がニートになるまでを書きました。

今回はニートになってからです。

 

ニートになってからも基本的情報収集は怠らずにいろいろなニュースなどをザルのように受け流してたのですが、そんなある日、DMMアカデミーをみつけ、持ち前の行動力で六本木のとあるbarまで亀山会長に直談判しに行くのですが、17歳の壁は破れずあえなく敗退。自分で生きて行けるようになりなとありがたい言葉を頂き、帰路に着く。

その後から昼夜逆転し、自力でなおし、鬱になり基本死にたくなるといった生活を繰り返していたのですが、ふと子供の頃にグレー判定されたADHDが気になり、診断することに。

結果は見事ADHD

診断してなにが良かったかというと、自分を責めなくて良くなること。
これもADHDだからか!っておもって開き直れることが多くなりました。
ただ、開き直ってるだけだとただのクズなのでそれをもとに改善策を練って行く必要があります。

たとえば、薬を飲む。これだけで僕は随分ましになりました。

それに受験勉強やプログラミング等といったことも基本的に独学でしていたのですが、これは僕の理解力に問題があり、理解すれば他の人よりも使えるといった性質の真反対をやっていたのでこれをなくす。などです。

こういった内省がしやすくなったのはとても大きいです。

また今度書くかもしれませんが薬を飲んでから鬱もなくなりました。

次回があるかどうかはわかりませんが、あるとしたらニートの障害者が自分を知ってからになると思います。お楽しみに。

推敲をしてないため。乱雑な文です。自由帳を覗き見たと思って許してください。

高校生が不登校ので引きこもりニートになるため

こんにちは。

お久しぶりです。

とらとです。

このブログを書くのは億劫だったのですが、他にも書きたいことあり、このブログを書かずに他のブログを書くのは逃げでしかないと思い、書き始めた次第です。
⚠このブログにエモさはありません。⚠
前回までに書いたブログは読み返したくないので読んでません。整合性が取れてないことはないとは思いますが、同じこと書いてる場合があります。ご了承ください。

 

さて、前回までは僕の高校に入るまでのお話しを書いたと思います。高校に入ってからの僕は、中学校の頃の経験から 、代表委員にはいるのですが、僕の高校は大学のようで、制服はなく、クラス替えもなく、時間割は個人個人で違い、校歌もない。校則のようなものがあるだけで、校則はない学校でした。そして先生はほとんど干渉してこず、学校の方針としては自主自律。こんな学校で代表委員のしごとなど、雑用しかなく、物足りなかった僕は、生徒会に入ります。
部活動は中学で目一杯楽しんだ上、家庭環境が悪かったため運動系の部活には入らず、緩めの化学工学部に入り、焼肉屋さんのキッチンでバイトを始めました。

ここから夏までは、ごく一般的な高校生活をしていたのですが、夏に入る辺りで2つの大きな物が出てきます。
一つはGoogleJapan主催の高校生による研究発表science jam
二つ目はかながわハイスクール議会

science jamはGoogleの慈善事業の一環で、高校生の視点で世界を変えられるような研究を後押しする。といったようなことを目標に行った研究イベントで、僕は発表が科学未来館で行われることや、キックオフキャンプが高エネルギー加速器研究機構で行われること、あわよくばGoogle本社にいけることなどに目がくらみ、それに学校の先輩と応募しました。ですが応募してきた中にはガチの高専の方々や、SSHに認定されてる方々ばかりであえなく敗退。ですが、ここで得たものはとても大きく、今後の僕の価値観を明確なものにしてくれます。
キックオフキャンプにはたくさんの大人が関わっていました。googlerの方々はもちろんのこと、未来館のscience communicator、JAXAのエンジニアの方、東北大学の教授、などなど。この方々に会うまでは、親の影響なのかもしれませんが、僕の世界はとても狭く、社会人というものは、日々の生活の中で生気を吸われ、ゾンビのように生きる物だと思っていました。ですが彼らは違いました。未来に目を輝かせ、新しいテクノロジーにウキウキし、大人なのに子供よりも楽しんでいたのです。彼らとの出会いで僕の価値観は変わりました。
とても感謝してます。

その価値観を胸にいだき、挑んだのが、かながわハイスクール議会でした。
かながわハイスクール議会とは、神奈川の高校生が神奈川良くするためにはどうすればいいか考えようぜ!といったような議会で、政治、教育、観光などの社会問題にまつわる8つの委員会があり、その委員会で出たまとめた提言書を黒岩県知事に提言するのですが、僕は父が外国人で日本の教育に疑問が沢山あったため、教育委員会に入り、委員長になり、知事に高校生版の教育委員会なるものを作って欲しいと提言したところ、すんなりOKをもらい、高校生版教育委員会が設置されることが決まりました。

このあたりで勉強する意味などがわからなくなり、塾をサボりはじめ、やめます。

こういった感じで一年生の夏から秋が終わります。

冬はすることがなくなり、だれでも東大に受かるといった趣旨の本に感化され受験勉強を始めるのですが、塾にサボって行かなくなった塾にもう一回行かせてもらえるはずもなく、独学でやり、バイトも辞めました。

ですが、独学だと僕の理解力、ワーキングメモリーの低さなどが原因で、あえなく挫折し、学校には行くものの、家では水曜どうでしょうを制覇するなどといったトテモ有意義な冬を終えます。

冬が終わる頃に忘れかけていた高校生版教育委員会から連絡があり、創設者として1期のメンバーになったほしいと言われて茶番のような第一回を終えます。

そのあたりで水曜どうでしょうもなくなっていた僕は、虫けらのように毎日を過ごします。

そして3月の最後にお父さんにこのままこういう生活をしてたら、生きてても死んでても同じじゃない?と言われます。
それは僕の一番なりたくなかった人種。是が非でも回避しようと活動し始めます。

最初は江ノ島に友達と行く。などとかわいいものでしたが、だんだんエスカレートし、
厚切りジェイソンと教育と起業と日本の未来について焼肉を食べながら話したり、

毎週のように渋谷のスタートアップ界隈に出向くようになりました。そしてそこの会社でGWのインターンをし始めます。そこまでは良かったのですが、(よかったのか?)

その会社はベンチャーキャピタルの会社で、スタートアップに興味ある人たちを集めるようなイベントをたくさんしていて、僕はその会場スタッフをしていました。

そんななか、教育とITで日本の未来を変える仲間を募集!といったピッチをする人が現れました。僕は前述の通り教育に興味があったのでビビッときてその人について行くことを決めます。本当はここでもっとちゃんとしたスタートアップを選んでいたらもう少し安泰だったのかもしれませんが、僕はその人についていくことに決めました。

そしてその人の助言の通り、学校にも行かなくなり、その会社は利益を出していないにもかかわらすシード期を飛ばす為に投資を受けていなかったので、後で返す約束で僕は貯金の50万円をこの会社に貸し、生活費などをその50万円から出して生きていました。

ですがその会社でさせてもらったことといえばビラ配りや、ビラを設置させてもらえる会社を探したいりすること。プログラミング勉強を教えてもらえると言ってたのですが、蓋を開けて見ればggrksとしか言われない。そもそもその会社は、代表取締役以外の人を学生(無給)でつかっていたのでひどい会社だったとおもいます。
ビラ配りの他にさせてもらったことといえば、家庭教師業だったので僕の友達をネズミ講のように紹介すること。これが原因で僕のこの会社への信仰心は薄れ始めます。

もともと本社が関西にあったにもかかわらず僕は最初にビビっと来た人と共に東京に住んでいたのですが、僕の貯金がついに底をつきます。
そこで僕は、もうだめだとわかり、ビビッと来た人にもう限界なので、やめると時に返すと言ってたお金を返してくださいといったのですが、その人はそんな約束をした覚えはない。録音でもとってるのか?と逆ギレ。代表に聞いてみてもそんなことは初耳だとのこと。後々気づいたのですが、会社へ貸したはずのお金は貸したことにはなっておらず、僕はただただ50万円をドブに捨てただけ。その人が個人的につかったお金(恋人とのペアリング、恋人に会いに行くための交通費、クレジットカードの未払いなど)は返してもらえることになって、1月から五千円ずつ返してもらえるはずだったのですが、入金は当たり前の如くなかった。

そして家庭から自立しようとしたのが逆に親にまた迷惑をかけることに。

今の僕はただの不登校ニートです。

 

ですが、この二年生の経験は全然悔いてません。お金がなくなったことは最初のころこそ絶望していましたが、今では帰って来てほしいなぐらいになるくらいまでマインドセット出来ました。それに会社の人たちは基本的にいい人たちで、そのせいで早めにやめることが出来ませんでした。それに関西から関東に帰る時にヒッチハイクをして警察に捕まったことなどもこの道を選ばなかったら経験できていなかったと思います。(面白いので今度話そっかな)

失敗だったことといえばもっと自分の石橋を叩いておけばよかったということだと思います。

ただ、自分の行動力はこれを期に自信が着いたので良かったです。

その他にも、基本していたことはどうやったら自分の成長につながるかを考えて行っていたので無駄なことはなかったと思います。

そして基本、こわいものはなくなりました。これも大きな強みだと思います。

次回があるとしたらニートになってからの僕です。お楽しみに。

 

推敲をしてないため。乱雑な文です。自由帳を覗き見たとおもって許してください。